母の癌を治す

今癌で不安な人達やご家族に、何か伝えられる事があるかもしれないと思い、書きはじめました。

訃報

突然の出来事でした。2月26日22時48分、最愛の母が他界しました。

母の死を受け入れられません・・。夕方に私が「卵焼き作ろうか?」と聞いたら、「昨日久しぶりに卵かけご飯食べたら美味しくて、又後で卵かけご飯食べる。」と言っていました。お腹が大きくて苦しそうでしたが、私が冗談を言ったら笑っていました。24日に腹水を抜いて濾過する病院にいき、28日に入院して腹水を抜く予定でした。診察の時先生はまだ3L位だし大した事ないといっていて、20Lたまってる人の写真をみて、母も「まだまだ序ノ口なんだ、何だか元気出てきた」といっていました。腹水がおしてチューブの糸があと一本しかついていなくて、そこから膿が出て痛いといっていました。膿をとったら痛みはとれたと言っていましたが、さすがに疲れた様子で、でも土曜は気功へ行きました。帰宅した母は「2日連続で動いたから疲れた」と衰弱した様子で、「C先生呼ぼうか?糸縫ってもらった方がいいんじゃない?」といったのですが、火曜までの辛抱と思ったのか、母は「呼ばなくていい」と言いました。こんな事にはなると思っておらず私は日曜友達の和太鼓の発表会に行ってしまいました。仕事があるからと終わったらすぐ帰宅しましたが、もっと母と一緒にいればよかったととても後悔しました。夜階段を降りるのがしんどそうだったので、手を引き階段をおりました。「二階のトイレ使えば?」といったら「ウォシュレットがないから。」と母がいい、「火曜まで一階のお父さんの部屋で過ごした方がいいんじゃない?」といったら電動ベッドがないからか「二階がいい。」といっていました。手をひき一階のトイレへ行きました。思えばこの時トイレで既に倒れていたのかもしれません。すぐトイレをあけていたら違う結果だったのかな。お腹大きいしチューブもつけているのでトイレがゆっくりなのはわかるけど、長いなと思ってうろうろしていました。その内お湯がわき、湯タンポにお湯をいれ、トイレの前で「二階に湯タンポもってっとくね」と声をかけたら母は「ありがとう。」と言いました。この時はどうだったのだろう。倒れていたのだろうか、まだ大丈夫だったのだろうか・・。湯タンポをおき戻ってもまだトイレから出てこず、二階に上がる時手をひこうと待機していたのですが仕事に一回戻ろうと「お父さーん」と父を呼び「お母さんが出てきたら手をひいて二階に連れてってね。」といいました。二階に行こうとしたその時母の私を呼ぶ小さな声が聞こえました。「助けて」と。急いでドアをあけると下血した母が倒れていました。痛い、苦しいといっていました。すぐ訪問医の先生に電話しましたが出ず、看護師さんを呼びましたが待っている場合じゃないと、救急車を呼びました。救急車にのった母はお腹や腰が痛いといっていたのですが、私は母の腰をさする事しか出来ませんでした。救急車は思ったより大きくゆれました。恐らく15分程で病院についたと思いますが、物凄く長い時間に感じました。病院についてから間もなくは母は他界しました。トイレでどこかうって金属のステントが刺さったのか、膵臓癌が破裂したのか、今ではわかりません。今年のエコーでは膵臓癌の大きさはほぼかわってないと言われたけど、腹水が出たり悪化していたとは思うし。

私は悲しくて、辛くて、母がかわいそうで、助けてといっていたのに助けてあげられなくてごめんねと、母はずっと私を信じ頑張ってくれたのにごめんねと、あの時こうしていれば、こんな事になるならもっともっと美味しい物をたくさん食べさせてあげたかった、と、ありがとうよりごめんねと思う気持ちが重くて、毎日毎日後悔しています。今年にはいって仕事をたくさん入れてしまった私を母は心配してくれていました。母に孫を見せてあげたかったけど、中々授かりませんでした。姉が孫を産んでくれて本当に良かった。最愛の母がいない世界はとても色褪せてみえて、虚無感でいっぱいです。どこにいても母を思いだすのにどこにもいません。母にもう一度会いたいな。まだ受け入れるのに当分時間がかかりそうですが、泣いてばかりいては母も悲しくなってしまうので、前に進まなければと思っています。

母が亡くなってから、実は母は散歩帰りにカフェでモーニングを食べていた、とか、私には言わないでねといって姉とサンドイッチを食べたり、私のいない時間を狙って田舎の人に甘いものを送ってもらったりと、ちょいちょい食べていたらしいです。今になると、美味しい物を食べていて良かったと思います。腹水が出てからは果物やお寿司も食べたいたし、亡くなった日はカップ麺を食べたみたいです。今頃「ばれちゃった!」って笑ってくれているでしょうか。

私は何が正しい選択で何が間違っていたかわかりませんが、このブログを見てくれている方の大切な人がもし癌だったら、希望を捨てないで頑張ってほしいです。最後までお付き合い頂き有り難うございました。

 

最愛の母へ

私を産んで育ててくれて有り難う。かわいくて面白くておっちょこちょいで、太陽のような笑顔の母が大好きです。私も母の様な母になるので見守っていて下さいね。