母の癌を治す

今癌で不安な人達やご家族に、何か伝えられる事があるかもしれないと思い、書きはじめました。

退院

管をつけた翌日お見舞いにいくと、あの真っ黒だった管が薄黄色になっていた!この時はじめて透明の管を付けていたと判明した。母はみるみる回復したが、結局三週間程入院していた。実家の引っ越しには当然間に合わず、親族が手伝いに駆けつけてくれた。父は"こんな大変な思いをした事がない"と言っていた。大変だったしお疲れ様という気持ちだが、逆に言えばとても幸せな人生だったのだなと思った。

母はお腹から管を出しているので胆汁袋を常に持ち歩くという生活になる。邪魔だがお風呂も入れるし日常生活にさほど支障はないらしい。母が「温泉が入れなくなっちゃうな」と言ったので、「温泉付きの客室か、貸切風呂に入れば良いよ」と答えた。胆汁袋問題がでた!胆汁袋は常に心臓?より下になければいけないので寝る時はベッドでなければならない。私は急いでベッドを探した。「病院のマットがずーーっと寝てても腰が痛くならないので同じ物がほしい!」というので同じ物を購入した。ルフランというマットレスだ。今後ベッドの上で過ごす事が多くなるかもしれないという事も考えて欲しいと言ったのだろうかと思い、少し切なくなった。本人に聞いていないのであくまで予想だが・・。そして8月15日、何と一時帰宅が許された。母はとても嬉しそうだった。母の部屋が片付いていたのにも喜んだ。因みにこの時の血液検査がこちら。f:id:emi_koko511:20160929221745j:image黄疸の数値がグッと下がった。安定してきたので、すぐステントの再手術をする事になった。今度はプラスチックではなく金属だ。金属は一度入れるととれなくなるので如何なものかと思ったが、もし癌が進行したり、体力も奪われたらステントを入れる手術自体出来なくなる。今まだ大丈夫なうちに丈夫な金属を入れた方がよいという判断だった。因みにプラスチックの場合半年に一度取り替えが必要で、先生には"取り替えるまでもたないだろう"と私にだけ告げられていた。手術はやはり30分程で終わった。次の日は気持ち悪さがあるといっていたがすぐ治った。又何日か禁食で、その後少しずつ消化によい食事が出た。トータルどれ位絶食していただろうか、かなり食べていない割に今回の入院では2キロも落ちなかった。告知から一カ月半程は気も沈んで食欲わかないし、摂取するものも野菜ジュースメインにしていたので一気に体重が10キロ程落ちた。予想はしていたがこんなに急に落ちるととても心配だ。ようやく止まってきたみたいでホッとした。

そして8月22日遂に退院した。

f:id:emi_koko511:20160930090257p:image黄疸の数値が驚く程おち、肝臓の数値も落ちついてきた。驚いた事に何とお腹の管を抜いての退院だった。急いでベッドかったのに・・・!三週間の入院で母は筋肉が落ちてしまったらしく、二階に上がるのも"よいしょ"という感じだった。しかし食欲はあった!病院では食べなかった生野菜を食べたせいか、3日程下して大変そうだった。退院した時は肌の黄色さは殆どとれ、白目だけ薄黄色が残っていた。

黄疸がとれた母はとても元気で、"癌が治った気がする"といっていた。顔が黄色いと誰にも見せたくないので外出する時はずっとマスクだし、気持ち的にもとても辛かったと思う。病院でシャンプーをした時は頭皮も黄色くて実は衝撃をうけていた。勿論よくなるまでは母には内緒にしたが、退院する頃には驚く程黄色さは消えていた。母には常に「よくなっている事」のみを伝えた。気持ちがとても左右する病気なので、とにかく気持ちを元気にさせたかった。